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あの頃の俺×忘却の君 [ 01 ]
作:かぎ

「うわ、きしょくわりぃな、お前」


 俯く少女を容赦無くはやし立てる。
 相手が泣き出すのかどうか、そればかりが気になる。泣けば良いのに。俺の言葉に、狂った様に反応して、大声をあげてくれればもっと良いのに。
 意味はわからないけれど、自分の言葉で他人を征服したような感覚がたまらなかった。自分の言葉に少女が傷付く様が、俺の心を高揚させた。


「よるなよ、近づくなっ」


 更に俺の言葉は加速する。
 辺りには、少女を笑う人だかり。


 俺はどうしようもなくガキだったし、何も分かっていない子供だったのだ。


* * *


「卯月はこのまま直帰です」


 夕日がビルに隠れてしまった。
 普段は内勤なのだが、今日は特別。得意先のシステム技術指導に駆り出されていたのだ。会社に戻れば次のプログラムが待っていたので、今日はもう直接帰宅する事に決めていた。
 電話の向こうから上司のねぎらう言葉が幾つか聞こえた。
 直帰の報告電話を終え、あらためて周囲に目を向ける。
 駅に向かう人の流れは普段の二割増しと言った所か。就業時間きっちりに帰る事など珍しいので、見なれた帰宅の道が見知らぬ路地の様に感じる。
 仕事が終わったと言う事を感じるように、ネクタイを緩めた。プログラマ、と言うのが俺の仕事だ。毎日毎日会社に箱詰めにされてキーボードを打つのが主な仕事。フレックスタイムを活用して、朝遅く夜遅い生活を繰り返す日々だ。
 だからこそ、こんな、夕日が見える時間に帰宅できるなんて奇跡のような出来事だった。
 商店街には店先のセール。
 待ち合わせだろうか、俯き加減に街灯に寄り掛かる女性。
 俺は、そんな光景を珍しく思いながら駅に向かっていた。


「きぬー」


 ふ、と。
 すれ違った女が誰かを呼ぶ声に耳が反応する。
 それは、聞いた事のある名前だった。


――振り向こうか?


 俺は迷った。
 何より、こんな町中で再開出来る、そんな偶然有るわけないと言う否定の声。
 ただ、知っている名前だと言うだけで、俺の知っている奴だなんて、そんな偶然あるものかと、やはり否定。


「ごめんね、待った?」


「ううん、平気」


 しかし、俺とすれ違った女に答えを返したその声に、俺の鼓動は跳ね上がる。
 それは聞いた事も無いような優しい穏やかな声だったが、俺の知っている声だった。
 その事実に、俺の足はすっかり止まってしまった。かわりに、自分の鼓動の音だけが増して行く。
 俺の動揺をよそに、真後ろで女同士が仲良く会話している。
 やがて、二人が歩き出す気配。
 振り向けば良いじゃないか。
 焦る俺に、はじめて脳内で肯定の意見。
 振り向いて、確かめる。それで、俺の知る人物だと納得すれば良いじゃないか。


――けれど、もし彼女ならどうする?

 俺は、迷っていた。
 そうだ。
 もし仮に彼女だとしても、それは俺にとって歓迎すべき事なのかどうか分からなかったから。


 迷いを重ねる俺に、女の声が近づいてくる。
 どうやら、駅へ向かう模様。
 肩よりも少し長い、綺麗な髪が揺れている様子がまず視界に入る。
 俺の横を追い越す横顔は、涼やかで美しい女性の笑顔だった。
 けれど、俺は確信する。
 あれは、彼女だ。まだ小さくて、毎日黙って俯いていた彼女。俺の吐く暴言に、泣く事もわめく事も無く、ただ黙って俯いていた彼女。


 俺達は、その頃まだ子供で、毎日学校に通っていた。同じクラスで、誰が何と言おうと一年を共にするしかない間柄。
 俺の中で彼女のイメージは小学生のあの頃のままだった。
 だから、こうして成長した彼女を目の当たりにして、驚いてしまったのかもしれない。
 とっさに、動く事が出来なかった。
 女達は俺の困惑に全く気付かず俺を追い越して行く。
 ただ、俺の時間だけ、あの頃に逆戻り。
 小さな机に囲まれた教室の中で、彼女をいじめる俺の姿ばかりが浮かんでくる。


 あの頃の事を、今も鮮明に覚えて居た。
 何故、彼女の事をあれほどいじめたのか。分からない。ただ、彼女の涙を、いや、叫び声を感じたかったように思う。
 彼女は俺を避けようとしていたのだが、俺がそれを許さなかった。とにかく、彼女の視線が俺に向いていないのは嫌だったのだ。
 俺は罵り、あるいは暴言を吐き、日々彼女を追い詰めて行った。
 女に対してどう接すれば良いか、そのすべを知らなかったのだ。


 立ち止まった俺に気付く様子も無く、彼女達は駅へ向かって行く。
 目の前の彼女が、あの頃の少女だと、確かめるだけで良かったはずなのに、俺は熱に浮かされたように彼女達を追っていた。
 そして、当たり前の様に呼び止めて肩を掴んだ。


「よう、久しぶり」


 けれど。
 返って来たのは、訝しげな表情だけだった。
(2005/08/12)

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