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05.荊姫の夢
作:かぎ
「んじゃ、コレ、適当に使って」
男はそう言って、リングを操作した。すぐに、腕の黄色リングに送金の知らせが浮かび上がる。その金額に、驚き戸惑った。
仕事に出かけようとした男が、不意に立ち止まったのだ。曰く、私は文無しではないのか、と。
確かに、今までの給与がどうなったのか、全く関心が無かった。あるいは、私に給与など存在しなかったのかもしれない。食事も薬も衣装も、すべて、軍から支給されていた。それ以外何も望まなかったし興味が無かった。
しかし、市民の生活は、そうはいかないらしい。お金が無いと何も買えない。いや、買おうとしないと物は出てこないのだろう。
遠い昔を、少し思い出す。
母に連れられて商店を回った記憶。ねだってチョコレートを買ってもらった記憶。小遣いが足りなくて、税金分だけ父に助けてもらったおもちゃ。
全て、もう手の届かない、夢のような記憶。
「じゃあ、行って来るから」
男の言葉に、我に返る。
流石に一軒家をぽんと買うだけの額ではないが、高級車なら購入できそうな金額。男は、自分の口座から私の黄色リングにそんな大金を振り込んだのだ。
世間とかけ離れた生活をしていても、物の値段や金銭の事などは、知識として持っている。だから、こんな金銭は冗談ではないと、それを伝えたかった。
しかし、出勤の時間は差し迫っていた。
私の寝坊が原因。
そう、私は、自分が寝坊をしてしまった事に、少なからずショックを受けていた。
そのため、男の出勤時間に余裕が無い事も、気持ちが沈む。
軍に強制収容されてから、緊張の連続だった。だから、朝寝坊など、有ってはならない事だったのに。
「……あの、う」
私は、慌てた。
まず、こんなお金は貰えないと、それを伝えたかった。
けれども、また言い合いになるかもしれない。そして、男にそんな時間は無い。
では、どうすれば良いのか。
私の言葉に、男が足を止めた。
「何?」
不思議そうに、見つめられる。
こんな時、何と切り出せば良いのか。
私は、それを知らなかった。
だから、取り敢えず、時間が欲しかった。そう、男が勤務を終えて戻ってくるまで。それまでに、考えを整理しよう。
自分に納得し、男を見上げる。
「いってらっしゃい……サブローさん」
上手く言葉に出来ただろうか?
この艦で、いや、両親と別れてから。
はじめての言葉だった。
「ああ、いってきます」
手を振り、部屋から出て行く男。
その背中を見送りながら、胸がしめつけられる気がした。
また、よみがえる、昔の記憶。
私は、母に手を引かれながら、毎朝こうして父を見送っていた。
当たり前の日常であり、今となっては夢のような時間。
それが、今ここに有ったと言うのか。
それならば、喜ぶべき事なのだ。
けれど、私は知っていた。
夢は、いつか覚めるのだということを。
それを思うと、少し、辛い。
2005/08/21