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変らないもの、ヒトツ [ 02 ]
作:かぎ

 鳥の鳴き声って、澄んでるよな、と。
 ぼんやり思いながら、煙草の煙を吐き出した。それは、高く高く上って行く。
 ざり、と。
 背後の足音に振り向き、相手を確認する。見たことも無い奴だった。スーツ姿の男は、俺に驚いたのか、一度びくりと身を強張らせ俯き加減で俺の隣をすり抜けて行った。
 もう一度、軽く煙草を吸う。
 コンクリートの壁に背を預け、溜息をついた。
 目当てのあいつは、なかなか通らない。
 煙草を、もう一本くわえるかどうか。迷う。出勤の時間はどうにでもなるのだが、他人の視線にそろそろ耐えられなくなってきた。
 そう、朝っぱらから、座り込んで、俺は何をしているのか、と言うと。

「何……、しているんですか?」

 ざり、と。
 背後の足音と、驚いた声に、俺は慌てて立ちあがった。
 振り向くと、彼女が、目を見開いて俺を見ている。

「出待ち」

 俺の姿を見て三歩も後ずさった彼女の様子に、多少打ちのめされながら携帯灰皿に煙草を押しつける。
 俺は、朝っぱらから彼女のマンション前で、彼女が出勤するのを待っていたのだ。

「……」

 言葉も無く、じろりと俺を睨みつける彼女。

「いや、だって、携帯番号もメールもわからんし、仕方ねぇだろ」

 そんな彼女の視線を受け流す様に、ため息をついて肩をすくめた。
 俺の仕草に効果が有ったのか、ちょっとだけ彼女の表情が和らぐ。

「……何かご用ですか?」

 しかし、あくまで俺との距離を縮めようとはしない彼女。
 その場で、伺う様に俺を見上げてくる。
 仕方が無いので、俺はゆっくり歩き出し、マンションの入り口の道を開けてやった。

「うん、一緒に駅まで歩こうと思って」

 俺は、できる限りの笑顔で話し掛けたのだけれども、歩き出した彼女の足が、しかしまたぴたりと止まった。

「からかわないでくださいっ」

 それは、静かに話す彼女にしてみれば随分大きな声だった。
 辛そうに、また一歩退く。
 とは言うものの、朝っぱらからずっとずっと彼女を待っていたのだし、多少強引な手を使おうと決心していたので、俺はそこで引き下がらなかった。

「別に、本気だけど?」

 所詮は、男と女のリーチの違いだ。
 素早く腕を伸ばし、彼女の手を取る。

「ちょ、……何するんです」

 慌てて足に力を込める彼女を、強引に引き寄せた。

「何って、会社行くんだろ? 電車乗るんだろ?」

 だったら、駅に行かないと、と。
 俺はそれが至極当然の事だと言う風に主張し、歩き出した。

「私の、話、聞いてなかったんですか?」

 俺の半歩後ろ。
 手を引かれながら、彼女は一層暗い声を上げた。

「聞いてた」

「だったら、どうして」

 どうして、だろう?
 彼女の、悲痛な訴えに、俺は足を止めた。
 今朝から、それはずっと考えている事だ。どうすれば良いのか分からなくなって考えているうちに、もう一度、この女の顔が見たくなったのだ。それから、寝起きの頭で、だったら会いに行けば良いのではないかと考えた。
 立ち止まり、彼女を見る。

「いや、どうしてだろ?」

「はい?」

 俺の言葉に、不愉快そうに眉をひそめる彼女。
 それでも、俺は、自分の思っていたことを、口にした。

「でも、俺はお前と会いたかった」

 ひゅうと。
 風が彼女の髪を持ち上げたのだけれど、彼女の当惑した表情は変る事が無かった
(2005/12/27)