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望む事はクロスする? [ 02 ]
作:かぎ

 メールの受信を知らせる電子音に、思わず持っていたコップを落しそうになる。いや、落ち着くんだ、そう、自分に言い聞かせながら携帯まで身を乗り出した。と、言うのも、今携帯は充電器の上だったし、俺は部屋で一人いじけながらビールを飲んでいたのだ。
 震える指で携帯を開き、新着のメールを確認する。
 別に、俺がアルコール中毒と言うわけでは無い。ただ、緊張していた。

件名:煙突
本分:

 しかし、ディスプレイに映し出された愛想の欠片も無いメールに、俺は首を傾げた。
 件名が、煙突。しかも、本文は無い。悪戯メールか、そもそもからかわれているのか。しかし、差し出し人を見てみると、やはり、彼女からなのだ。
 馬鹿に、されているのかも?
 いや、本当は、メールをした事が迷惑だったのか?
 けれど、件名の煙突と言うのが、そもそも俺を悩ませた。朝方送ったメールに、今まで返信は無かった。勿論電話などあるわけが無い。そして、俺の送ったメールから11時間後のメールが、これ。
 しばらく携帯を眺めていたが、それ以上メールが送られてくる事は無かった。どうやら、間違いメールでも無さそうで、ますます混乱した。
 何度か携帯を開け閉めして、一つ大きく息を吸い込む。
 よし、と、自分の中で気合を入れ、そして俺は彼女の番号を選んでダイヤルボタンを押した。

『……もしもし』

 三度目のコールで、電話から聞こえてきた彼女の声。
 耳の奥から、俺の身体中に響き渡った。全身にぴりりと震えが走る。ごくりと唾を飲み込んで、俺は彼女に問うた。

「と言うか、煙突って、どうして?」

 本当は、他にもっと言いたい事があったのだ。まずは挨拶からはじめて、今日あった楽しい事などの報告。少しの笑いで気分も落ち着いただろう。彼女の事についても、例えば今の時間電話は良いのかとか、仕事中迷惑ではなかったのかとか、色々聞きたかった。
 けれど、開口一番、俺の口から出たのは本当にぶっきらぼうなこんな質問。

『あ、あの……』

 彼女の方も、驚いたのか言葉に詰まっている。
 まずい、何か言わなければ……、俺は一人焦り、空いている手を何度か振り上げては下ろした。

『け、煙があって……丸くて、だから煙突……だと思ったんです、写真』

 そうこうしている内に、また彼女が小さな声で話し始めた。
 俺は、半ば身体を硬直させながら、その声を聞く。
――丸くて、だから煙突……だと思ったんです、写真
 そして、彼女の声が頭に響き、ようやく事態を理解した。

「そ、そうだな、そう、屋上で取った写真だもんな、……煙草だけど」

 そうだ。
 俺は、今朝、煙草の写真を添付して、『何だ? コレ』とメールをした。
 つまり、件名の煙突とは、今朝の俺のメールへの答えだったのだ。俺は音が聞こえぬ様に、しかし、がくりと座り込んだ。腰が砕けたように力が入らない。11時間もかかって、それも本分も無しで、送られてきたメールは、れっきとした俺のメールへの返信だった。

『え?……えっ?』

 電話の向こうでは、それはギャグなのかと疑いたくなるような真剣な声で、彼女が驚いていた。

「あのさ……、あの……」

 もうだめだ
 俺は、握り締めた携帯を落とさないように気をつけながら、震える思いで、必死に声を絞り出した。

「だから……、おやすみ木原……」

『は……、え、おやすみなさい』

 彼女……木原の声を確認して、ぶっつり電話を切った。
 そのままベットに倒れ込み、腹を抱える。だめだ、腹がよじれる。喉がくっくと勝手に鳴り出し、俺は酸素を取り込むため、必死に呼吸を整えた。11時間! あいつ、考えに考えて、出た答えが煙突だって? 煙突! 俺から正解を聞かされ驚きの声を上げた木原を想像する。

「は、はぁ」

 ようやく、呼吸が整った。
 何と言うセンス! 何と言うズレ! 何と言う……愛おしさ!
 俺は、木原から返事が無いと腐って飲んでいたビールも忘れ、そのまま布団を抱え目を閉じた。



 それから、俺達は毎日のように、無愛想で意味の無いメールのやり取りをした。
 俺が、朝写真添付メールを送る。木原は、決まって夜に件名で返事をよこした。
 テンキーのアップを送れば、返って来たのは『パソコン』。せめて、キーボードとか他に言い様があったんじゃないだろうか。
 曇り空を送れば、『飴』と返って来た事もある。これは、また電話しなければいけないかもしれないと悩んだが、『雨』の変換間違いだと気がつきまた笑った。
 カレンダーを送った時は、『休日』と返って来た。まるで禅問答だ。せめて、紙とか! 俺は、必死にツッコミを返したい気持ちを抑え、携帯を閉じた。それ以上『休日』と言う件名を眺めていると、本当にメールしてしまいそうだったからだ。
 実は、気付いていた。
 木原は、一日かけて写真の答えを考えているのでは無いのだ。
 きっと、携帯のメールに不慣れなのだろう。もしかしたら、件名を打ち込むだけで精一杯で、メールの重点は本文だと言う事に気がついていないのかもしれない。それくらい、彼女のメールはいつも短くて愛想が無くて、そして可愛いものだった。

「うわ、玩具て、どこの婆さんの発想か」

 今朝送ったのは、映画のチケットだった。返って来た答えは『玩具』。『おもちゃ』ですらない。彼女とメールをかわすようになってから、もう一週間が過ぎようとしていた。ただ、公演時間や半券を写さなかったので、ただのチラシだと思われたかもしれない。
 しかし、玩具。彼女のセンスににやけながら、俺は携帯のボタンを何度も押した。
 夜、彼女の返事にリアクションを起こすのは、最初の『煙突』以来だった。何度か、メール本文の内容を確認して、送信ボタンを押す。
 それから、少し遅い夕飯を摂り、風呂に入って、もう一度携帯を眺めた。
 彼女から、返事は来ていない。
 それは、小さな賭けだった。携帯を手に取り、彼女に送ったメールを呼び出す。一度だけ読み返し、携帯を静かに閉じた。
 そして、俺は、もう何も考えないように心がけ、布団に潜り込む。

『明日、14時駅西出口集合!』

 土曜日は、きっと休日のはず。カレンダーの時に確認済みだ。だけど、彼女が来てくれるかどうかは分からない
 来ないのなら、それでもいい。
 俺は、テーブルの上に重ねた前売り券二枚を確認し、目を閉じた。
(2006/06/11)