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望む事はクロスする? [ 04 ]
作:かぎ

 右手にはポップコーン。オレンジジュースはジュース置きにセットした。
 隣には、かしこまってちょこんと座り込む彼女。
 実は、ここに至るまで、結構な押し問答があった。と、言うのも、まず彼女がチケット代を払うと主張した事から始まる。これは、俺が勝手に買った物で、しかも結構強引に誘ったのも俺。勿論、代金など貰う気はさらさら無かった。
 取り敢えず、入り口で揉めていたのでは、他の客の迷惑になるとか何とか言いくるめて館に入った。
 次に、映画と言えばお決まりのポップコーン。
 これも、俺が全部払おうとしたら、言えこれは私が払いますと彼女がまた主張する。なんと言うか、律儀な女だ。しかし、俺だって、誘った者として絶対に払いたかった。ここまで来れば、意地だったんだけれども、早く行かないと席が取れないから先に席を取っておいてくれと彼女に頼み、ようやくポップコーンを買ったのだ。
 さて、席にたどり着いてい見ると、彼女が紙コップを二つ差し出した。
 オレンジジュースとウーロン茶、どっちが良いですか? だってさ。
 面白いと言うか、不思議な感じだった。全て俺にまかせっきりなのがつまらなかったのか? それとも、意地になっていたのか。俺がジュースを受け取ると、満足げに彼女は頷いた。
 その様子が、たまらなく可愛くておかしい。
 俺は、必死に笑いをこらえて、席に座ったと言うわけ。
 映画の内容はあまり覚えていない。
 強いて言うなら、彼女がとても面白かった。驚く場面ではびくりと肩を振るわせ驚き、悲しい場面では両手を胸の前で組んで悲しさを表現していた。
 これほど感情移入してくれれば、映画を作った会社も大満足だろう。
 二時間近くが、あっという間に過ぎて行った。
 空になった容器をゴミ箱に捨て、館を出ると良い感じに夕焼けが空を染めていた。

「と、言うわけで、ちょっと早いけど夕食行かない?」

 パンフレットを握り締める彼女に、ようやく声をかけた。
 もう少し、もう少しだけ、一緒に居たかったから。何か、楽しい話題を振って、とか、考えたのだけれど、結局シンプルなその言葉に全てをかけた。
 俺の少し前を歩いていた彼女は、その言葉に振り向き、一度小さく首を傾げた。
 口の端を持ち上げ、ようやく笑おうとしているのが分かる。
 けれど、
 彼女は、
 何故か、
 泣き出しそうだった。

「卯月君、今日は有難う、帰ります」

 しかし、はっきりと、彼女は俺を拒絶した。
 俺は、少し混乱して、一歩彼女に近づく。彼女は、それに合わせるように一歩引き下がりくるりと俺に背を向けた。

「……、理由、聞いていいかな?」

 彼女の背に、語りかける。
 それ以上近づく事を許さないような、そんな背中だった。

「私、映画館に母以外の人と来たのって、はじめてです」

 風が通り過ぎ、彼女の髪がふわりと浮く。

「暗い所で、一人きりは怖いから、大勢の他人の中で、一人きりは悲しいから」

 ちらりと、彼女の横顔が見えた。
 それは、よく知っている、何の表情も無い彼女の表情だった。
 彼女が何を言っているのか、俺にはきっと分かるはずだ。胸の奥の何かがちくりと痛む。

「あなたとこうしているのは楽しい、けれど、今日、私は怖かった」

「……、怖い」

 その言葉に、俺はしばらく反応できなかった。
 ただ、彼女の言葉を繰り返す。

「呼び出されて、またいじめられるのかと思って怖かった、けれど、今日出てこなければもっと酷い目にあうのかもしれないと思うと、怖くて、怖かった」

「木原、俺は、俺はっ」

 彼女の言葉を否定したい。
 違うんだ、そうじゃないんだ。
 心の中で、叫ぶ。声にならない。

「分かってます、あなたはもう昔のあなたではなくて、きっと酷い事なんかしない」

 彼女は、俺の言葉を遮り、静かに話す。

「けれど、こうしてあなたと居ると、昔を忘れてしまう、あなたを恨んで一人で居る事を選択した自分を否定してしまう」

 彼女は、悔しそうに横を向き、言葉を切った。
 俺は、彼女になんと言えば良い? 分からない。

「だから、お願い、私の中に入ってこないで」

 そうか。
 彼女が、今日、ここに居るのは、恐怖に駆られて出てきたからか、と。ぼんやり、ぼんやりと頭が回転する。

「あなたを憎めなくなったら、私は、きっと、今までのように生きていられない」

 俺と居る事が、楽しいと言った。
 彼女の言葉が、俺の身体に染みていく。
 手を伸ばし、彼女を捕まえた。
 びくりと、振るえ、ぎゅっと目を閉じた彼女。
 ごめん。
 そんな言葉が、何になる?
 ごめんな、木原。
 ゆっくりと、引き寄せ、静かにくちづける。
 触れるだけの、短いキス。
 俺は、息を吸い込み、彼女を放した。

「だよなぁ、今日なんてほんの気まぐれ、お前、昔と同じできしょくわりぃ、こっちからバイバイだっつの」

 お前の事が、大好きだ。
 彼女は、その言葉に、口の端を上げ振るえて一歩また下がった。

「……、ありがとう、さようなら」

 そして、彼女は夕陽の向こうに消えて行った。
 追いかける事なんて、許されない。
 俺は、一人立ち尽くし、ぼんやり風に吹かれていた。
(2006/09/13)