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全てを通り越して [ 02 ]
作:かぎ

 夢を見ていた。
 これは、本当に、都合の良い夢。

「久しぶり」

 夢の中だから、自分の声が少し違って聞こえる。そう言えば、相手の姿も見えない。絶対に、相手は彼女だと分かっているのに、姿が見えない。

「……、何のご用ですか?」

 折角の夢だというのに、彼女の声は固い。
 お前、夢の中でもそうなのかと、笑いがこぼれそうになる。こうなると、もう、病気だ。彼女の反応一つ一つが面白くて、笑える。自分が彼女にした事を思えば、何をしても許されないと分かるのに、ただ目の前の彼女が可愛くて仕方が無い。
 けれど、どう言うわけか、彼女の姿が見えない。
 まるで、辺り一帯靄がかかってしまったようだ。

「あのさ、俺、風邪引いたんだ」

 そう言えば、体が重い。確か、風邪で会社を休んだのだ。そう、それで、寝込んでいるはずで、つまり……、

「えっと、俺、バカじゃなかったって事だよな」

 そうそう。
 バカは風邪を引かないって言う位だから、バカじゃなかったんだ。ああ、良かった。それは良かった。口から笑いがこぼれる。

「……」

 彼女の方は、言葉も無い。
 しばらくして、耳元で彼女のため息が聞こえた。
 耳元で!
 もう、夢だから、なんでも有りか! 俺は驚いて、耳を澄ませた。と言うのも、まだ彼女の姿が見えない。実は、自分も何だかふわふわとしていて安定感が無い。だから、せめて彼女の声は聞き逃すまいと、耳を澄ませた。

「……、何のご用ですか?」

 あれ、さっきと同じ言葉。
 そうだ、何か彼女に伝えなければならない事があったんだ。何のご用かと聞かれて、ようやく思い出す。

「そう、俺な、」

 さあ、早く彼女に伝えなければと気持ちが急く。
 しかし、ここに来て、意識がふと消えかかるのだ。自分で聞く自分の声も、かすれて殆ど音になっていない。
 けれど、これだけは、どうしても伝えないと。
 消えてしまうその前に。

「俺、」

 一つ発音するだけで、ばちばちと火花が飛ぶ。
 ふらふらと、世界が揺れる。

「あー、腹減った」

「え?」

「何か、食べ物、くれ」

 あれ?
 と、自分の中で、疑問。そんな事を言うつもりじゃなかったんだ。本当に、本当に、違うんだ。耳元で、彼女の声が響く。けれど、もう、彼女が何を言っているのか、聞き取る事ができなかった。
 夢が終わるんだろうか?
 深い闇に落ちて行く。
 声を出そうと必死に息を吸い込んだけれど、上手く声帯を震わせる事ができなかった。
 這いあがろうともがいたが、手足は動かない。まるで、自分の体から、神経が切れてしまったみたいだ。動かない。どんなに力を込めても、手も足も動かす事ができなかった。

――誰か、

 助けを呼ぼうとしたけれど、自分の声は聞こえなかった。
 ただ、重たい身体。
 重くて、
 辛くて、
 だから、
 誰か、助けてくれ。
 誰か、俺をこの夢から引き上げてくれ。そうだ、夢だ。きっと、夢から覚めたら、この悪夢から開放される。体がうまく動かなくて、声も出せない。酷い悪夢だ。
 一体、どれほどの時間を漂ったのだろうか。
 ずっとずっと、闇の中で、闇雲に身体を動かそうともがいていた。

「……」

 どこからか、声が聞こえる。

――誰?

 いや、誰でも良い。
 俺を、助けて、

「……、ん」

 また、声が聞こえた。
 ああ、懐かしいその声は、

「ガンちゃんっ」

「き、……、は、ら?」

 ようやく、視界が広がって、
 最初に、何故だか、木原の姿が有って。
 重い手を伸ばすと、しっかりと触れる事ができたので、きっと幻では無いのだと思う、けれど。
(2007/02/18)