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3.失うことなどこわくない

作:かぎ

 思い出せば良い。
 私は、軍に所属していた。両親を惨殺した軍に、しかし、私は誰の事も信用せず誰とも交わらず軍に所属していた。
 そう、あの頃を思い出せば良い。
 私には何も無かった。だから、失うものなど無い。怖くも無い。ただ、力を使いつづけるだけの。そう言う兵器。
 あの頃は、平気だった。
 いつどこで朽ち果てようとも、いつどこで誰かを無くそうとも。
 だから、私は、思い出せば良い。

「気分が悪い? 検査の結果が良くなかったのか?」

 彼のいたわるような言葉に、たまらず横を向いた。
 気分? 良いわけが無い。
 胸がむかむかするし、喉はからからに乾いている。
 この、締め付けられるような思いはなんだろう?
 分からない。
 私は、分からなかった。代わりに、思い出す。そう、何も無かった頃の、自分を。

「……、もう、できません」

 けれども、おかしい。
 それだけの言葉を搾り出すのが、こんなに苦しいなんて。
 あの頃の私は、ここでは無いどこかに自分の心があって、冷静に自分を遠くから見ていた。そして、自分の置かれている現状を、何の感情も無い身体だけが認識していた。
 だと言うのに、今はこんなに苦しい。
 唇を小さくかんで、ようやく自分が震えている事にも気が付いた。
 あの頃は、こんな私ではなかった。
 あの頃できた事が今出来ないはずは無い。だから、きっと、私は失う事など怖くは無い。
 だと言うのに、いつの間にか、彼に背を向け壁を向いていた。
 その時だ、だんっ、と派手な音が部屋に響き渡った。
 それは、とても凄い勢いで私の背後から伸びてきて、私の目の前の壁を叩きつけたのだ。
 見なれた、彼の腕。

「悪りぃ、俺頭良くねーから、わかんねーな」

 私は、両手を胸の前で組み合わせ、また震えた。
 彼の吐く息が、首筋にかぶさる。
 はじめて彼にこの部屋に連れられてきた時をぼんやりと思い出した。
 確か、一緒のベットではじめて眠った。寝返りを打つと、首筋に掛かる鼻息が気になってしょうがなかった。
 思い出してはダメだ。
 私は、自分で自分を戒めるように、首を振った。
 もっと、以前の、自分を、取り戻せたら、きっと楽になれる。
 私は、目を閉じ、昔の感覚を呼び覚まそうとしていた。

「……、リンナさん」

 ぞわり。
 背筋が凍る。
 彼に名前を呼ばれただけで、私の集中は途端に分散して消え去った。
 はやく、つたえて、そして、すてられる。
 すてられる。
 すてられる。
 失う事など怖くは無い。
 けれど、彼に捨てられるのは寂しい。
 悲しい。
 辛くて、

「子供が、できたので、もう、無理です」

 ああ、この言葉が、私を彼から引き離すだろう。
 抱く事の出来ない女を、誰が必要としてくれるのか。
 ごくり、と、彼が喉を鳴らす。
 涙でぼやけた視界に、飛び込んできたのは、彼の腕。
 ゆっくり私の肩に近づいて優しく触れる。
 もう一方の彼の腕は、私の腹の少し上。
 私の背と、彼の腹がぴたりとくっ付き、最後に彼の唇が私の肩に落ちてきた。
 え? 何故?
 私は、何が起こっているのか理解出来ない。
 ただ、流れる涙は、彼がすくってくれた。
 何度か触れるようなキスをして、今度は正面から抱きしめられる。
 一度は突き飛ばした彼の腕の中、私は、つまるところ、何が何だか分からなくなって居た。

2006/04/13


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